お知らせが出ていましたので。電撃文庫「撲殺天使ドクロちゃん」等のイラストを描かれておりました「とりしも」さんが2月20日、お亡くなりになりました。葬儀は24日に執り行われました。
— 北川由貴 (@yuki_kitagawa) 2017年3月3日月曜日にご家族の方から訃報のお電話を頂いて、告別式に参列をさせて頂きました。数年直接会っていませんでしたが、最後に遊びに行った時の印象のまま、全然変わっていませんでした。コミケ91に参加をされていたので、会いに行けば良かったなあと、後悔ばかりです。ご冥福をお祈りいたします。
— 北川由貴 (@yuki_kitagawa) 2017年3月3日今日の阿佐ヶ谷イベントに向かう途中、電車のなかで、言語社の笠井さんから、この訃報を聞きました。本当に、本当に、ショックで、悲しいです。まだまだお若かったはずですし、あまりにも突然すぎて。未だに信じられません。僕が最初にとりしもさんにお会いさせて頂いたのは、原画を務めて頂いたSputnikの「風ヶ原学園スパイ部」の制作が始まる時でした。美少女ゲームを作り始めて、次が2作目というブランドで、しかもメンバーがほとんど20代前半で、僕自身はまだ大学4年生で、ガキもガキだったころで。当時、メンバー全員が必死に次回作の企画を立てていて、原画家を探していたときに、いろいろな繋がりがあって、とりしもさんが原画を受けてくれるということになって。それが、どれだけ嬉しかったか。あの「撲殺天使ドクロちゃん」を描いていたとりしもさんと一緒にゲームを作ることができると。僕も当時ドクロちゃんは原作も読み、アニメも見て、本当に大好きで、そんな人が自分たちの作る企画に絵を描いてくれるということが、大学生だった自分には夢のようでしたし、メンバーと物凄く喜んだのを鮮明に覚えています。企画がしばらく進んで、僕も直接打ち合わせに同席させて頂くことができたとき。ガチガチに緊張しながら、「公式工作員」という今考えると変化球すぎた肩書きの名刺を渡す僕に対して、笑いながらそれに突っ込んでくれて、緊張がほぐれて。ものすごく気さくで、優しい方で、素敵な人でした。そのあとも、bitterdropの「波間の国のファウスト」でもお仕事は継続して頂き、まだ仕事の仕方が何もわからない時に、雑誌用のコラムカットでも、発注する時は気軽に相談に応じてくれて。美少女ゲームを作らなくなったあとも、コミケで毎回ご挨拶する度に笑顔で会話しつつ、新刊まで頂いてしまい。編集者になった今、どこかで、必ず、また一緒にお仕事をしたいと思っていました。それが叶わなくなったのが、本当に残念です。とりしもさんには、感謝の念しかありません。「スパイ部」の花梨&唄、「波間の国のファウスト」のサラ&カナタ、描いて頂けたことの感動、嬉しさ、一生忘れません。本当にありがとうございました。とりしもさんのご冥福をお祈り致します。Podchaser is the ultimate destination for podcast data, search, and discovery. Learn More